蚤の市~マジョリカハウス~旧市街散歩~郵便貯金局~リンク~ウィーン市庁舎~ヴォティーフ教会
リンク集
ウィーン観光情報(英語)
ウィーン市交通局(ドイツ語)
ウィーン市庁舎(英語)
ブルク劇場(英語)
ウィーン大学(英語)
ヴォティーフ教会(ドイツ語)
この日は土曜日。蚤の市の日です。実はこの蚤の市に合わせて全体の日程を決めたのでした。朝早く起きて、朝食も取らずにまっすぐナッシュマルクトに向かいました。
いろいろなものがありましたが、成果は2ユーロで入手したアクセサリ、一つ。他にも良いものはあったのですが、所謂業者さんらしく、高価な上に全く値引きしてくれないのであきらめました。
ナッシュマルクトは、本来食料品の市場。これはチーズ屋さんですね。買いませんでしたが。
ナッシュマルクトの向かいには、アール・ヌーヴォーで有名なマジョリカハウスが建っています。普通に人が住んでいるので、なんとなく素通りしちゃいましたが、今となっては何故中に入ってエレベータホールを撮らなかったのか、悔やまれます。
ホテルに戻る途中、アム・ホーフ広場に面した消防署の建物(?)です。ハプスブルク家の紋章、双頭の鷲の彫像が見事ですね。
ホテルをチェックアウトし、旧市街散歩。まずはスタート地点(?)のシュテファン大聖堂です。
実は、ここに至るまでが大変でした。チェックアウトしたので大きなトランクを引きずって、空港行きの列車が出るウィーン中央駅へ地下鉄で移動。中央駅なんだからコインロッカーなり手荷物預かり所なりあるだろう、と思っていたのですが、ないんです、これが。コインロッカーはあったけれど小さいのだけ。手荷物預かり所はなく、どうもウィーンではむしろ小さめの駅のようですね。
あきらめて一旦空港まで行ってトランクを預けることにし、時間節約のために、できたばかりのCAT(City Airport Train)を使ってみることに。ところが、ホームに降りたらちょうど列車が出たばかりで、次の列車は30分後。専用切符なので他の列車に乗り換えるわけにもいかず、30分ホームで待っていると、その間に鈍行普通列車が他のホームから発車。所要時間を考えると先発の向こうの方が早く着くんですね。何のために3倍もの料金を払ったのやら。もっともその時はすでにウィーン風の時間感覚になっていたのか、大して気にはしませんでしたが。
なんとかウィーン空港について、手荷物預かり所に荷物を預け、旧市街にとって返してきたのでした。
もう見ることはないであろうシュテファン大聖堂を後に、旧市街を東に向かいます。これは、何ということのない建物の中庭ですけど、こういう雰囲気って、良いですよね。
これも何ということはない、ウィーンの小路です。
これまた何ということはない、通りすがりのアパルトマンの家の窓です。
四度何ということはない、アパルトマンの入り口。左の銘板によると、サイコセラピストのお医者さんが入っているようです。
これも何ということはない、ただのアパート、…と思っていたのですが、帰ってから、前にも触れた川向正人著『ウィーンの都市と建築』(丸善, 1990)を眺めていたら、写真つきで載っていました。ルネサンスホーフと言って、1587年以前(!)の建築だそうです。
いやぁ、手前に車は置いてあるし、普通に人が住んでいるようにも見えたので(本当に住んでいるかも)、単なる古びたアパートと思ってました。ウィーンの歴史に一本取られました(笑)。
こちらは何ということのある(?)、バジリスクハウス。
昔、ここにあった井戸に、猛毒を含む息を井戸水に吹き掛け、一睨みで人を殺すバジリスクという、鶏と蛙の合の子の怪物が棲んでいたそうです。人々が大変困っていたところ、1212年6月26日朝、勇敢なパン焼き職人が鏡を持って井戸に降り、バジリスクは自分で自分を見て死んだそうです。
写真上の彫像がバジリスク、壁画がパン焼き職人ですね。
聖バルバラ教会。郵便貯金局のちょうど真裏にあたります。
これが、郵便貯金局。これもアール・ヌーヴォーの傑作です。中がきれいだ、と言うので入ってみるつもりだったんですが、土曜は閉まってるんですね。がっかりでした。
この後、実は応用美術博物館に行ったんですが、正直、期待はずれでした。近現代のデザインが中心なので、美しい、というよりはどこか冷たい感じのするものばかりでしたし、第一、カメラはもちろん手荷物も持ち込み禁止だし。
早々に後にして、リンクを一回りすることにしました。
これが、リンクを走る市電です。車両は同じようにみえて、よく見ると実は何種類もあることに気がつきました。
こちらは車内。これでもどちらかというとまだ新しい方の車両のようです。椅子が木製なのも面白いですが、広告の縁も木製なのが目立ちました。
リンクをぐるっと反対側まで回って、これがウィーンの市庁舎です。手前の広場で、何かイベントをやっていました。手前のついたての文字を読むと、「EISTRAU(M)」ですから、「氷の夢」。人工のスケートリンクなんかもあって、子供たちがおおはしゃぎしていました。
市庁舎の方は、古そうにみえますが、19世紀終わりの建築です。
振り返って、こちらはブルク劇場。演劇系の催しで有名です。
中に入ったわけではないので、物の本からの受け売りになりますが、このブルク劇場、演劇系であるにもかかわらず舞台手前にオーケストラピットがあり、演劇のBGMはオーケストラが奏でるそうです。さすが、音楽の都!
確信はないですが、多分これがウィーン大学。フロイトやショーペンハウエルなど、特に世紀末前後には優れた学者を多く生みだしています。
そして、ウィーン最後の見物、ヴォティーフ教会です。来てみて大失敗したことに気がつきました。すでに日没近いのですが、ここは絶対明るいうちに来るべきです。19世紀末に皇帝フランツ・ヨーゼフ2世が建てただけあって、細部や建物内部が見事です。
建物一部の拡大です。ウィーンでは珍しく(?)全体が一気に建てられたので、様式が統一されている、というのが美しく感じる理由でしょうか。
内部は、ステンドグラスが見事でした。ずいぶん写真も撮ったのですが、何分暗くて露出時間が長く、ブレまくってしまったのは残念です。それでもましな一枚を取り出しました。
こちらは天井画。もっと明るければはっきり見られたでしょうに、本当に残念でした。
これで、オーストリア旅行も、いよいよおしまいです。まだまだ見足りない気もしますが、とりあえず、出発前に見たいと思っていたものはほぼ見たので、満足して空港に向かいました。この日の写真はこの先ないのですが、実はトラブルはこれからでした。
19:40発のエールフランス 2039便なので、18:00前に空港に着いて、何番ゲートから出発だろうか、と思って電光掲示板を見ると、他のフライトにはゲート番号が書いてあるのに、私どもの乗るエールフランスの便には何か文字が。あれ、これはもしかして…、と不安に思いつつエールフランスのカウンターに近づいていくと、向こうから受付の人が出て来て、「Your flight was canceled.」(!)。
あー、やっぱり、と思いましたが、もともと会社には休養も兼ねて一日余計に休みとっていたし、こういう場合、宿泊費や代わりの飛行機のチケットなんかは航空会社持ちになるのを知っていたので、あまり焦りもせず、むしろもう一日観光できないかな、なんて期待して話を聞いたのですが、結局、ホテルは空港の向かい。代わりの便は翌日13:35発のオーストリア航空成田行き直行便とわかり、ちょっとがっかりでした。ホテルが空港の近くでは、旧市街まで列車で片道30分はかかるし、13:35発では、11時半位には空港に着いていなければならないですから、翌日の観光はほとんど無理なのでした。
ホテルは普通の、むしろさびれたビジネスホテルみたいなところでしたし、もう旅行は終わったものとあきらめて、休養のため、早めに寝ることにしました。
ちなみに、フライトキャンセルの理由は、わかりません(笑)。聞こうかな、とも思ったんですが、聞いてもどうにもなるわけでもないし、と思って聞きませんでした。多分、私どもの乗る飛行機、ヨーロッパ域内なので一日あちこち飛んでくるのですが、どこかで気象条件が悪いか何かで飛べなくなったのでしょう。そうすると、その後のフライトが、芋蔓式にキャンセルになりますからね。