女神湖までドライブした帰り、あと1時間で日没となる頃ビーナスラインを走っていたら、目前に逆光の薄野原が広がった。たまたま駐車スペースが在ったのですぐに車を停めて撮影したが、通りがかるほとんどの車がやはり同じように車を停めて写真を撮っていた。太陽の動きは想像以上に速いので、こういう時は時間との勝負になる。
薄は下に挙げた通り、萬葉集にも謳われている。ただし平安時代の「薄」は、現在の薄や葦など草むらを為す植物全般を指すので、この歌の薄が今日の薄と同じかどうかは分からない。
しかし「薄」の語を平安時代で既に使っていたことは間違いなく、1300年以上前から存在する語を今でも日常的にそのまま使っているというのは、世界的に見ても貴重なことなのだと思う。日本語は、日本の国語として大切にしなければならない。
折角1500年以上かけて磨いてきた仮名遣いや漢字を、一時の世情に惑わされて、戦後に役人の一存で変えてしまったのは、非常な損失であった。言葉は自然に変わっていくものであり、上からああしろこうしろ、と言って変えるものではない。
人為的に変えてしまったから「
…と、最後の例は阿川弘之「安土考」(講談社文庫『断然欠席』所収)からの引用である。
賣比能野能 須〃吉於之奈倍 布流由伎尓 夜度加流家敷之 可奈之久於毛倍遊
婦負の野の薄を押しなびかせて降る雪の夜に屋戸を借りる今日は悲しく思われる。(萬葉集 巻十七 4016)
前へ | 次へ |
Copyright ©2024 All rights reserved.