良く知られている通り、安曇野には双体道祖神が多い。写真の道祖神は、私が穂高神社に初詣でに行く際、いつも立ち寄ってお参りすることにしている東光寺前の道祖神、文政二年の建立である。
安曇野に何故このように道祖神が多いのかは、良くは解明されていないようであるが、その名の通り、一つの道標、あるいは道の守り神としてあることはまず間違いのないところであろう。集落の入り口や鬼門などに、また集落と集落を結ぶ道沿いに点在していることからもそれは伺える。しかし、それがなぜ双体道祖神なのか。性器の象徴を祭る神社は各地に有るが、男女がにこやかに手を携えている姿を祭るものは他に余り無いように思う。しかも、等し並みに小さく可愛い。その理由は私にもどうも分からない。
何はともあれ、男女がこうして手を携えて微笑む姿は、人の暮らしの中で最も美しい姿であろう。その姿を素朴に現し、善かれと思う心は、どうか世の中に広がって欲しいものだと思う。
ここから先は余談になるが、私は国歌『君が代』を支持している。君が代の「君」が天皇を指すという解釈は明治から昭和初期にかけて政府が強制した誤った解釈であり、本来の「君」は、「愛しいあなた」の意味である。そうでなければ属格(所有格)の助詞に「が」は使えまい。属格の「が」は、今も固定的に使われている「我が家」の「が」に見られるように、本来は謙って言う言葉である。それを二人称に用いるということは、身近な親しい相手を指す以外にない。間違っても天皇を指すことはない。天皇であれば、「大君の」と言わねばなるまい。
つまり日本は、恋歌を国歌としているのである。これは非常に誇るべきことではないのだろうか。愛しい人を大切に思う気持ちがあれば、人を殺す気にはなれない。戦争を放棄し、平和を希求する国の国歌として、これ以上に良い歌はそうあるまい。
更に付け加えれば、君が代が国によって強制され、その歌の下に非常に苦しい思いを、日本を含む世界の人々に与えたことも事実である。だからこそ、なおさら国歌を「君が代」から変えてはいけないのではないか。国旗を日の丸から変え、国歌を君が代から変えたら、そのような苦痛を世界の人々に与える先鋒を日本も担ったことが、今以上に忘れ去られてしまうであろう。
私は恋歌である君が代が、曲解され強制されて、大きな苦痛を生み出したという事実を再認識する意味でも、国歌「君が代」をしっかりと歌い続けたいと思う。
ちなみに、私が毎回、主に萬葉集から恋の歌や風情を歌った和歌を載せるのも、一つには千年も前に作られた詩を今でもそのまま楽しむことが出来るのは貴重なことだ、という意味と、もう一つ、恋や自然の風情を愛でる歌は、戦さの英雄を称える歌などよりも遥かに素晴らしく、大切にしたい、と思っているからである。
年の初めから、何だか長い話になってしまった。
今年一年が、平和でありますように。
玉桙の道の神たち幣はせむ吾が思ふ君をなつかしみせよ
多麻保許乃 美知能可未多知 麻比波勢牟 安賀於毛布伎美乎 奈都可之美勢余(萬葉集 巻十七 4009)
補遺:小学館『日本国語大辞典』第一版の「が」の項には、次のような補注がある。
「が」助詞が用いられた場合には…(中略)…、その人物に対する親愛、軽侮、憎悪、卑下等の感情を伴い、「の」助詞が用いられた場合には敬意あるいは心理的距離が感じられる。
やはり「君が代」の「君」が天皇を指すということは(皇后でもなければ)有り得ないようである。
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